民族派あるいは国学派。通俗理解に於ける本居宣長のような存在。つまり、言語や習俗から「外来語」=非自民族語を排除しようとする動きは、韓国ではあまり盛んではない。
日本も、太平洋戦争時に敵性語である英語は規制されたが、日中戦争時も漢語は規制されなかった。不思議な話である。
韓国にも「純化語」なる概念はあるが、순우리말(スンウリマル、直訳すれば純われわれことば)とは微妙に違う。개시 (開始)の純化語を시작(始作)と、それも純化と読んでいる。少なくともiPhone搭載の韓国語辞典は。
…言語あるいは国民によって、言語純化(私がいう言語純化とは借用語ではない語を使うこと)に対する態度が違う。それはなぜだろうか。
英語圏にゲルマン主義者はいない
勿論全くいないわけではない。一部の詩人や、こちらのツイート主などは、英語のゲルマン化を望んでいる。
借用語(語句・詞)の元になる言語は、非常に限られている。漢字文化圏に於いては中国語、インド文化圏に於いてはサンスクリット・パーリ語、ペルシャ語、ギリシャ語、ラテン語、アラビア語(スワヒリ語やペルシャ語に影響が特に強い)。
要は、中世に宗教哲学科学分野で業績を多く成した語である。…それは単純化しすぎか。
過去あるいは現在進行形で、純化運動を行なっている言語は、ルーマニア語、アイスランド語、ハンガリー語、トルコ語、ヒンディー語。
上記五言語に共通する要素を見出す作業に益はあまりないだろう。各者各様の事情があるのみである。民族主義を見出すこともできるだろうが、悲しいことに民族主義とは何なのかわたしにはわからない。
(ベトナム語にも純化運動はあったらしいが、あまり徹底はしなかったようだ)
……トルコ語の言語純化制度は激烈だったらしいが、あくまでも書き言葉の純化であり、話し言葉ではない。識字率も、アタテュルク以前の時代はそれほど高くなかったようだ。1927年時点で8.6%の識字率。そして、漢語は和語に比べて情報を縮約できる明確な利点があるが、純トルコ語とアラビア語は長さにおいてそれほど差はない。宗教的権威はあろうが。
(現代ベトナム語は基本的に一音節ごとに意味があるため、漢越詞であろうと純越詞であろうと文の長さはそれほど変わらない)
英語には、ゲルマン起源に立ち帰ろう、純化しようとする動きはあまり見られない。英語は現時点で、世界の覇権言語・最も広汎に通用する共通言語である。わざわざ変える必要を誰も感じないのだろう。
…英語母語話者は、現状維持認知不協和であるだろうが、現代英語がロマンス語まみれであることを「強み strength 」としばしば言う。同じことを二回言っても、繰り返しに聞こえないから良いのだ。外国語を無節操に取り込むのが英語の良点だ云々。とにもかくにも、英語の勉強は半分ロマンス諸語の勉強である。実質二つの言語の学習をわれわれは強いられている。
(日本語もそうだ。半分中国語だ)
架空の韓国国学派右翼
陸続きなだけあって、韓国語は日本語よりも中国語の影響が強い(と看做せるが、漢語比率は日本語と劇的に違うわけでもない)。
①東西南北は漢字語(日本でいう漢語)から固有語に置換。そのほか固有語が存在しない単語 행복などに代わる固有語表現を過去の文献から持ってくるか、なければ造語。
②金だとか朴だとかの苗字を固有語にする 下の名前も固有語推奨
③太極旗は道教思想由来の旗なので変更
④바람などの古漢語由来の単語はそのままにする。体(體)に由来する처럼なども帰化した語もそのまま。
当然、西洋語由来の単語も使わない。100%の純化は無理だとしても、90ならなんとかなる。十年ほどは社会に混乱をきたすだろうが、そのうち慣れる。江戸時代の日本語も明治時代の日本語と語彙が全く異なるが、なんとかなった。
言語純化の矛盾
既に定着した外来語(漢語含む)の置換代替に意義はあるだろうか? 服フクではなく ころも・きぬ と言い換えて誰が得をするのだろう。客キャクではなく まれびと と言い換れば、分かりやすくなるだろうか。
「既に定着していようと、変えるのだ」なぜなら……、なぜなら? 私には答えが出せない。