以前、「やさしい日本語」に関して記事を書いた。それと連続する会話である。端的に言えば、「和語」を二種類に分けて考えてみようという話である。概念の提唱である。
和語 日常語
まなび 気づき(混種語だが 名誉和語?)よりそう むきあう、日常語語彙の和語を意識的に、美意識を持って積極的に活用しようとする人達は、かなりの数で存在する。
偏見かもしれないが、政治家は近年(普段使いの)和語を好選して使用している印象がある。庶民であることの”訴えかけ”である。
糸井重里のような人も、和語を好む人である。というより、権威を感じさせる漢語を意図的に避けている。そこには美学がある。
但し、特に「立ち現れ」などの造語・厳密な定義を用いて和語を用いようとすると、平易さは消える。
和語 古語派
客キャク を まれびと 、服フク を ころも と呼ぼう。国学派の右翼にはそう主張する人もいる。彼らは、糸井重里とは違う。
「ころもがえ」など複合語に残ってはいるが、通常、日本人は clothをフクと呼ぶ。わざわざ戻すためには、「庶民派」の立脚点ではない立場から主張する必要がある。
ウルトラナショナリズム、和語復古派などと評せるだろう。
夢という単語には、「寝ている時に見る夢」と「将来の夢」の二つの意味がある。また、ところ には 場所 そして形式名詞としての用法もある。前者は英語の影響で、後者は中国語の影響だ。こういったものをどう処理するか、和語復古派の人が身辺にいれば聞きたいのだが……。
まとめ
和語だからわかりやすいわけではない。が、しかし、「風景」「景色」よりも「みえるところ」が外国人にとってわかりやすいのは確かである。雅馴ならざるともそうだ。それは、purchase よりも buy 、surveillance よりも lookの方がわかりやすいのと同じ。但し、beautifulではなく sheen(ゲルマン語由来)の方がわかりやすいわけではない。