絵も描けないし、彫像を作れるわけでもないが、私は美大出身である。ご存知の方は少ないかも知れないが、美大はアニメオタクの巣窟だ。
声優学校の次くらいにアニオタが跳梁跋扈している環境だと断言する。
ここで勘違いされないように注をつけるが、自分は「漫画オタク」に対しては何も反対しないし、むしろ好ましい印象を抱いている。
アニメオタクに対しては、その逆で、まあまあ軽蔑している。
今回は、なぜ私がアニメオタクを軽蔑しているか理由を説明する。
1.関西人のくせに関西弁を喋らない
関西地域において、関西弁を喋らない人間は軽蔑の対象となる。他地域からの転校生・就学者は、関西弁を必死のパッチで習得しなければ、生存競争から脱落する。
しかし、関西のアニメオタクは関西弁アビリティを備えているのにも関わらず、自主的にそれを返納している。
これにより関西のアニメオタクは「標準語なのか関西弁なのかよく分からないキマイラ言語」を話すことになり、結果的に孤立していく。
そして、「いじめられている」との被害妄想を抱くようになる。
それは違う。あなたがたは自ら茨の道を選択したのだ。これはSMクラブでMを選択しておきながら、プレイ後警察に「暴行された」と報告するようなものだ。
ともあれ、関西弁を話しているいないに関わらず、アニメオタクはいじめられる。
2.発言にフィルターをかけない
美大生時代、アニメオタクがアニメ内のキャラクターの発言のマネ・引用をして、仲間内で盛り上がっている光景を繰り返し見た。
その度にいつ、我が子のホームビデオを見て盛り上がる親みたいだなと思う。
楽しんでるのは身内中の身内だけで、それが仲間内の外に理解されることはない。
その営み自体を私は否定しない。
あなたがたアニメオタクによく認識してもらいたいのは、本当は君たち自身もそんなにアニメ内のセリフ引用を面白いとは思っていないことだ。
あなた方は笑っているが、ほんとうには笑っていない。愛想笑い・礼儀としての笑いをしていることに、いい加減気付いて欲しい。
バキなどの例外はあるが、アニメではそれまで運動などしたことがないような少年が、世界の危機に立ち向かったりする。
もうこの時点でコミュ力はだいぶん低いのだが、それよりも問題視すべきなのは、アニメキャラの話し方だ。
銀魂を代表例として挙げられるが、アニメキャラは面白くもない長台詞のまくし立て、その応酬を頻繁に行う。
アニメ内だけに留まるのならまだ良い。なぜなら、アニメとは演劇であり、限られたリソースで情報を聴衆に伝えたいと思えば、誇張して演技するしか方法がないからだ。
しかし、日常(あのアニメではない)は舞台でもないしアニメでもない。アニメオタクは例外なく早口で口数が多いが、これは彼らがニュアンスや文脈などのコードを失ってしまったためだ。
結果的にアニオタは孤立するようになる。そしてそれに値することを彼らはした。
4.現実とアニメの区別がつかなくなる
暴力ゲームが暴力行為を引き起こすとは思わない。自分が強くなったような気が一時間くらい継続はするだろうが。
しかし、アニメを見る行為は、確実に人格に悪なる影響を及ぼす。理由を説明する。
ゲームをする人間は、それがゲームであることを知っている。ゲーム画面に映し出されるのは、あくまでもゲームグラフィックだからだ。どれだけ高画質のゲームだろうと、現実世界よりも高画質なわけではない。
しかし、アニメオタクは「これはアニメ内の、存在しない世界の出来事なんだ」ということを認識できない。
なぜなら、彼らは孤立しているからである。
「私は孤立していない。友達はいる」と反論があるかも知れない。だが、アニメオタクは常人のコミュニケーション方法を喪失しており、アニメオタクの友達になれるのは、同じアニメオタクか、アニメオタクではなくとも、常人のコミュニケーション能力をなんらかの理由で失ってしまっている方だけだ。
想像して欲しいのだが、「私はおかしくない。同じ考えを持っている人が周りにたくさんいる」と、イスラム国やオウム真理教、連合赤軍の方々が主張したとして、それに耳を傾ける必要はあるだろうか?
狂気とは、個人においては稀かも知れないが、集団においては珍しくないと、かの哲学者ニーチェも喝破している。
5.アニメは犯罪行為を助長する
宮崎勤は、4人の女児を誘拐監禁し殺害した。
宮崎勤はアニメオタクである。
よって、アニメオタクは犯罪者である。
まとめ
厳しいことを書いたが、私はアニメオタクの皆さんを心配しており、親心のようなものからこの檄文を書いた。
どんな聖人であっても、人生に一度は間違いをおかす。私はアニメオタクの皆さんに、真人間に戻って欲しいのだ。
それと、ツイッターでアニメアイコンにしているアカウントを頻繁に見かけるが、彼らは例外なくロクな死に方をしない。それだけは断言する。