考察するヒソト

元々ワードプレスでやっていました。執筆に集中したいので移行。色々考えます。

和語≒「やさしい日本語」

「やさしい日本語? 和語で言うんやな?」

 

→ まろうど が きたから 共(とも)に 昼餉(ひるげ)を たべました まろうどは 昼餉を とても こころにかない 三つ装い も たべました わたしは すこし 憂え(うれえ)ていましたが まことに よかったです 

 

これは、やさしい日本語だろうか。そもそも、easyの意で やさしい(易) と言う機会は、口頭ならまず存在しない。小さな子どもでも、easyは簡単という。やさしい は、口語ならkind,kindlyである。

(多分、優しい と 易しい の、ダブルミーニング 掛けことばなのだろうが)

 

上述の文を実際の、外国人(≒日本語初学者……『やさしい日本語』なら初級者)にとって やさしい日本語に変換すると

 

お客さんが きたから 一緒に お昼ご飯を 食べました。お客さんは お昼ご飯 を とても 気に入り 三杯 も 食べました わたしは ちょっと 心配していましたが 本当に よかったです

 

こうなるだろう。勿論、振り仮名を併記して。和語≒日常語である。教科書の日本語 あるいは 日常頻出語が「やさしい日本語」と呼ばれるべきだろう。

 

言い換える能力

悲しいのは、学がないと何が話し言葉で何が書き言葉なのか瞬時に判断できないことである。あるいは言い換えができない。

 

景色(ケシキ)が外国人に伝わらなければ、風景と言い、それもダメなら みえるところ と言えばいい。

 

私は一度、日本のYouTuberが外国人に対して 光源 なる単語をなんの説明なく使用している場面を見たことがある。光源が日常語彙でないと判断を事前にくだせないのだ。

 

(思うまま、心の赴くまま話すまえに、語彙が日用語であるか考えながら喋る技術は特殊技能なのだろうか? 私はそうは思わない)

漢字文化圏か否か

「厳禁」と「しないで!」は、漢字文化圏の人たちにとって、前者が「やさしい日本語」である。

 

韓国とベトナムは漢字を書紀体系から追放したが、漢字が全くわからないわけではなく、また韓国は漢字教育がある。ベトナム人にしても、漢字の教育は公教育からは消えても、日本に来るような人は間違いなく漢字の勉強をしている。

 

無論、日本にわざわざ来るような人はある程度日本語を本国で勉強したか、それがなくとも日本で学校に通っているハズなので、「しないで」「しないでください」が分からないことはないのだが、漢字文化圏の人だと「人民ジンミン」は知っていても「民たみ」が分からないという事態は発生しうる。

 

「やさしい日本語」は、非漢字文化圏にとってのものと、漢字文化圏にとってのもの。ふた通りあると想定した方が良いだろう。